酒飲んで、車いじって、トロンボーン吹いて、寝る。そんな生活に憬れる今日この頃。
日記の更新は気の向くまま、つれづれなるままに・・・

笠寺観音御開帳

名古屋三観音の一つ、笠寺観音(Webサイト)の8年後との御開帳に行ってきました。


御開帳と聞くと全国の見仏ファンが詰め掛けて人がごった返すかと思いきや、ごくごくいつもと変わらない雰囲気。ちょっと参拝者が多い程度でしたね。
なんと御本尊拝観は無料。京都なら300円〜500円程度の特別拝観料ってのを取るのが普通なんですが。重文指定を受けていないからかなぁ、なんぞと考えてながら本堂の中へ。


本堂に入ると「こちらへどうぞ」と案内され、靴を脱いで本堂須弥壇の裏へ。へー、いつも拝殿から見える須弥壇上の厨子の中にある観音様は御前立ちだったんだ。
で、ここから本堂のまさしく奥の院「バックステージ」鑑賞となるのですが、そこで見た十一面観音は更に奥まった土蔵の中で金色の笠をかぶってひっそりと佇んでいました。


ここでちょっと雑学。
そもそも「笠寺観音」の由来は、平安時代にさかのぼります。
ある雨の日に、有松でこき遣われていた下女がこのあたりに来た際、荒れ果てたお堂の中でずぶ濡れになって立っている観音様を見て、そのあまりに可哀想な姿を哀れみ自分が冠っていた笠をとり、その観音様にかぶせました。
後日この地に立ち寄った中将・藤原兼平公がその話を聞いて、この心優しき下女を妻として迎える事となりました。
この兼平公の妻となった女は後に「玉照姫(たまてるひめ)」と呼ばれるようになり、この笠をかぶせた十一面観音を本尊として現在の地に「笠覆寺」として復興したとのことで、現在でも本尊の観音様と一緒に玉照姫・兼平公ご夫妻を安置している、ということです。(Webサイトから抜粋)


閑話休題。そんな縁起があって御本尊の十一面観音にわざわざ金色の笠を被せて御開帳されているのですが、その金色の笠ははっきり言ってイラネ。ソイツのおかげで頭上の化仏が見えません。おまけに朱の紐だったり柵だったりお供え物の台がありーのお酒などの供物が仏像の前にありーの、で全身がしっかりと見えないのがこれまた残念。8年ぶりのワンマンショー・オンステージなのですから、もっと近くで見たかったのにー。
言い伝えでは733年作に作られたのでそれが正しければ天平時代の作となります。そのためか愛知県で良く見られる平安、藤原時代のやさしい写実的な仏像と違って、やや厳しい、それでもって静かにじっと見つめていらっしゃるお顔でした。
でも本当に天平時代の作だったら、最低限でも重文指定があるはずだろうから、絶対後補が入っているか、後年の作の可能性が高いですねー。


次回は芸術品・美術品として拝観できるような御開帳(公開)をして頂けるとうれしいです。
それが叶うのはまた8年後の話。それまでは御本尊ともしばらくのお別れです。


一方須弥壇の三十三部衆も間近に見る事が出来ました。でもこちらはなかなかの良いブツが揃っており、見ごたえたっぷりです。ただ、やっぱり照明が暗いので細部がよく見えないんですよね。ただでさえ目が少し悪いんだから、もうちょっとこのあたりも気も利かせてほしい今日この頃です。やっぱ双眼鏡を買おうっと。


もちろん最後に御朱印を頂いてお寺を後にします。