酒飲んで、車いじって、トロンボーン吹いて、寝る。そんな生活に憬れる今日この頃。
日記の更新は気の向くまま、つれづれなるままに・・・

「癌に教えられる」|宝島社 企業広告より

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http://tkj.jp/koukoku/

笑いが癌細胞を減らす という説がある
癌は不思議だ


末期癌を宣告されて 十年以上生きつづけている人がいる
癌は怖いけれど不思議だ


最後のすこし前 突然元気になって一泊出かけたんだよ
という人の話は少なくない
癌は不思議だ というより人間の体は不思議だ というより人間は不思議だ


毎年数え切れない量の 癌関連本
癌から逃げよう
いや 癌とたたかおう
いや 癌をうけいれよう
癌は人のなかにあるのに 人は解ききれない 何と意地の悪い


「癌とは時間をかけて死と向き合うことなのです」と語る人がいた
こうなるとまるで人生そのものではないか
「でも 死んだら何も言えなくなるんだよ」と 人は思う
そうだけれど そうではないのではないか
壮絶と不思議の数ヶ月 その人の生き様と逝き様に
親しい者は ずっと語りかけられながら その後を生きていくのではないか


癌で一生を終える日本人 いまや一年間 三十万人強
医療は進歩しつづけているはずなのに 人はまた 癌を考える


私の父は癌で4年前に死んだ。
喉頭、声帯のやや上の辺りに腫瘍が発見されたのはその6年ほど前だったと思う。


その腫瘍が悪性腫瘍、すなわち癌とわかったときには、すでに第4期。
すぐさま治療が始まった。
抗がん剤を投与し、入退院を繰り返し、
病院を変え、放射線治療をし、病巣と共に声帯を摘出し、
声を失っても、それでも辛い治療を続けたのは
「いつか治る。必ず治る」
本人はそう信じていたのだろう。
いや、無理にでもそう信じていないと生きてゆけなかったのだろう。


一時は様態も回復して、趣味の釣りとゴルフに明け暮れた毎日もあった。
しかし、肺への転移が確認されてからの様態の変化は、他の癌患者と同じである。
一人で歩くことができなくなり、やがて起き上がることすらできなくなり、
そのうち手足を微動させるのが精一杯のところまで肉体は衰弱し
最期は小さく痩せ細った身体をベッドに臥すだけだった。


それでも父は最期まで
「いつか治る。必ず治る」
と、そういい続けていた。
死ぬ間際の、最期の時まで。


もし仮に「奇跡の特効薬」がその日にできたとしても
そんな痩せ細った身体が回復するなんて、絶対無理だよ
そんなこと、一番自分でわかってるでしょ
小さく老い病んだ父の姿を見ては、そう胸の奥底でつぶやいた。
それでも、父は
「いつか治る。必ず治る。俺は治るんだ。」
といい続けた。


そして、父は死んだ。
享年67歳。


今でも思う。
治らない癌だとわかっていても、なぜ父は治ると信じていたのか。
死が目の前にありながら、なぜ父はそれでも生きようとしたのか。
0.1%も満たない、塵よりも小さな可能性を信じて
そこまでして生きて、生きようとして
彼はなにをしたかったのか。


残念ながら私には、その答えは未だにわからない。


今思えば、そのことを最期の時に伝えたかったのかもしれない。
でもその時、声帯を摘出してしまった父は
ただ口を小さく動かすだけだった。


その答えがわかるまで、私は生きつづけなければならないのだろう。
自分が死ぬまで、その答えをずっと考えてゆくのだろう。
もし、死に際なって初めてその答えがわかる、というものであれば
それはそれで、無理な難題を与えてくれたものである。


癌とは、そんなものなのだろう。
私はそう思う。




医療は進歩しつづけているはずなのに
人はまた、癌を考える